社寺のご案内

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熊野磨崖仏

「昔、この辺りに住みついた鬼が村人を困らせていたので、一計を案じた熊野権現の神様が『麓から熊野権現まで一夜のうちに石段を築きあげたならばここに住むことを許すが、できなければこの地を去れ』と鬼に告げた。これを聞いた鬼は勇んで石段を築き、年明け前に99段まで積み上げた。あわてた神様は山上で『コケコッコー』と鶏の鳴き声をまねて夜明けを告げた。この声を聞いた鬼は手にした岩をほうり投げ、あわてて姿を消した。』
そのように伝わる100段もの険しい石段を登った先に国指定の重要文化財で、平安時代末期の作といわれる熊野磨崖仏があります。

富貴寺

富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂(京都府)、平泉中尊寺金色堂(岩手県)と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であるとともに国宝指定もされている、まさに『仏の里くにさき』を代表する文化財です。 

長安寺

長安寺は山号を金剛山という天台宗の古刹で、平安時代に六郷満山65カ寺を統括していた西叡山高山寺が衰微したのに伴い、その中核的地位を継承して発展した寺院です。その後、鎌倉時代には将軍家の祈願寺として隆盛しましたが、同時に武士による押領を受けて満山の支配権は形式的なものとなってしまいました。
 戦国時代、ここ長安寺には大友氏の有力な家臣であった吉弘氏が本拠を構え、武力と神仏の力でその勢力を拡げました。しかし、戦国時代末期、吉弘氏が力を失った主家・大友氏とともに滅亡。それに続く江戸時代には満山の中心は杵築藩主の崇敬の受けた両子寺(安岐町)に移っていきました。
 

真木大堂

真木大堂は六郷満山本山本寺馬城山伝乗寺の堂宇の1つとして建立されたと伝えられています。伝乗寺はかつて六郷満山の「本山八ヵ寺」中でも最大の規模を誇り、満山の中心的寺院として隆盛を極めたといいます。しかし、その草創については確たる文献もなく、『幻の大寺』とされている寺院です。真木大堂に収められた9体の仏像はその名残と伝えられ、地元の人々の厚い信仰を集めてこの地で大切に保管されてきました。
 

夕日観音(間戸の景)

四季おりおりの自然を満喫できるスポット

川中不動

 川中不動とは天念寺の前を流れる長岩屋川の中にある巨岩に刻まれた不動三尊のことを指します。川の流れはこの巨岩に遮られてここに川魚の遊ぶ小さな渕を成しているのですが、そうした川面に映り、ゆらめく不動尊の姿は誠に趣深いものです。
 

天念寺

天念寺は六郷満山の中山本寺で、養老2(718)年仁聞菩薩によって開基されたといわれ、平安・鎌倉時代には他の寺院と同様に修験と祈願の寺院として繁栄しました。鎌倉時代の元寇の際には、満山寺院の僧を集めての戦勝祈願の法要が盛んに行われたとも伝えられています。周囲の景観はその美しさから「天念寺耶馬」と呼称されて人々に広く愛されております。

鬼会の里 歴史資料館

国の重要文化財に指定されている阿弥陀如来像が展示されている資料館。祈りの空間として訪れる人の心を和ませ、更に年に一度しか見られない「修正鬼会」を映像で体感できるシアター設備もあります。
入り口にあるお食事処では、豊後高田産の手打ちそばが食べられます

霊仙寺

霊仙寺は養老2(718)年、仁聞菩薩によって開かれたと伝えられています。同寺の鎮守である六所神社の別当を勤め、隣の実相院を支院としていました。かつて霊仙寺講堂は現在の六所神社拝殿の位置にあって、六所神社はその右隣の岩窟の中に建てられたといいます。その様はまさに社寺一体のものであったのですが、明治時代初期の神仏分離令で寺社は切り離され、さらに西南戦争の際には一揆勢に本堂が焼き討ちされてしまいました。現在の本堂は後に信徒らによって再建されたものです。

実相院

 実相院は、かつて隣の霊仙寺が強勢を誇り「根本院」と称した頃に、霊仙寺の講堂として創建されたと伝えられています。そのため、実相院と霊仙寺にはいくつもの共通点がみられ、まるで一体の寺院であるかのようにも見えるのですが、現在、実相院は独立の寺院として活動しています。
実相院の本堂には、本尊の不動明王像とこれを挟むようにして聖観音像と薬師如来像が収められています。境内の鐘楼堂の横には、「耳地蔵さん」として親しまれている大小2体の地蔵尊が立っていて、病気平癒の祈願に人々が訪れています。そして、ここには鎌倉時代末期から南北朝時代の作といわれる、香々地町内で最大の4mにも及ぶ国東塔があることでも知られています。

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